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「鬱病=心の風邪」という理解

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鬱病=「心の風邪」という言い方 ある、鬱病患者さんのツイートを見て、何となく、鬱病について書いてみようと思いました。そんなことを考えていたら、ある言葉を思い出しました。それは、 鬱病は心の風邪 という言葉です。  これはホントやめてほしい・・・。この言葉はもしかすると、私(42歳です)より上の世代の方々の方が馴染みが多い言葉かもしれませんが、これのおかげで随分勘違いされる病気だなぁ・・・と思います。 以下に、公益社団法人 日本WHO協会の機関誌でも取り上げられている部分を引用します。 本日の命題である 「うつ病は心の風邪か ?」 ということですが、うつ病は簡単に言えば、精神的、肉体的疲労が続いていくうちに、脳の神経伝達物質 (セロトニン、ノルアドレナリンなど)の働きに異常をきたしてしまい、そのための様々な症状を出現する病気。 性格とか体質とか、心理的因子も関係 してきます。 しかも、うつ病は自殺と強い相関関係があり、自殺率は高い。そうなると、 うつ病はこころの風邪と言えるような軽い病気ではない。 日本では、精神に対する偏見をなくそうということから、こころという言葉を盛んに使うのですが、 精神疾患というものの内容を逆に分かり難くしてしまっていると思います。 うつ病とは、こころのレベルを超えて脳の機能障害まで至ってしまっている病気です。 出展「目で見るWHO」第43号 (2010年初夏号)第5回健康セミナー 「うつ病はこころの風邪?」 渡辺 洋一郎氏 より ここで目に付くのは、 「心のレベルを超えて、脳の機能障害にまで至っている病気」 という部分です。正直、書いている私も少し気落ちする表現ですが、自分自身の症状としても実感がなくありません。  私は鬱病になって2回、復職して2回とも再発で退職しています。その時に思ったのは、所謂、「落ち込んだ状態」なら、まだ何とかなるのではないか、せめて発作として体に出なければ・・・、ということでした。私の場合は、 体の強張りや、目眩、悪寒、筋緊張、そうしたことが体に出てしまいます 。「これさえなければ、気分は何とかなるのではないのか・・・」と思ったことも何度もあります。(実際には、落込みも酷かったので何とかなる状態ではなかったのですが。)  また、脳の働きで言えば、とても大きなのは 強い混乱と不安感、また...

感情で戦争教育する時代ではない

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戦後、74年。 (By  George R. Caron  -  Nagasakibomb.jpg   Atomic_cloud_over_Hiroshima.jpg ,  パブリック・ドメイン,  Link ) 第二次世界大戦が終わったというのは毎年、夏の恒例の話題になっている。8月6日には広島、8月9日には長崎へ原子爆弾がそれぞれ投下され、8月14日にポツダム宣言に関して、御前会議にてポツダム宣言を詔勅によって受諾することを決め、8月15日の正午に玉音放送にて国民が、戦争が終わったことを知る。国外で戦闘状態だった陸軍へは16日に、その事実が通達される。「無条件降伏」というやつです。 そうした歴史を聞く機会が、多く私は昭和51年生まれですが、学校では原爆の恐ろしさを「はだしのゲン」や授業、その他、戦争で家族を失われた遺族の方々(当時、すでにもういい歳でした。)からのお話を聞いて学びます。夏休みの宿題には、そうした戦争経験をした親族がいれば、話を聞いて感想文を書くというのもありました。私の祖母は偶々、東京大空襲の記憶があり、感想を聞いた覚えがあります。祖母はいつも、何事にも動じないし、笑ってばかりいる印象でしたが、その話の時は私たち孫が知らないような目つきで語ってた気がします。 「戦争を繰り返してはいけない」の先 そんなこんなで、私達、太平洋戦争の傷を見る事がほとんどない世代は、「戦争は繰り返してはいけない」という言葉を刷り込まれて育っています。もちろん、戦争も人殺しもしたくはありません。なので、こうした感覚自体を間違った感覚、と思う事はありません。誰だって、首元にナイフを突きつけたり、突きつけられたりすることが無ければ、それの方が良いと思うと思います。それに、そう思う方が、その一時点を切り取って考えれば自然だと思います。 それは良いのです。ただ、それだけでいいのか?、という疑問があります。 実際、戦争の悲惨さを写真や口伝で「もう二度と繰り返さないでほしい」と感情に訴えている方や、そうした展示は多くあります。そして、多くの子供が、「日本は昔、戦争をして原爆を落とされた、大変多くの人が無くなって、可愛そうな思いをした・・・」程度の文脈でなら、戦争を覚えています。 40歳も超えて...

「人はなぜ宇宙人に誘拐されるのか?」を読んだ

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記憶に関する本 記憶に関する本を、最近数冊読みました。記憶については、随分前から気になっていたテーマではあったので、まだ知りたいと思う事は多いです。 最近読み終わったのは、「 人はなぜ宇宙人に誘拐されるのか? 」という本です。 似たような題名で「 なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか 」という本もあります。これについては読んですぐに、 感想を書きました 。 最近読んだ記憶に関する本は「 抑圧された記憶の神話 」「 子どもの頃の思い出は本物か 」でしたが、もっと前には苫米地英人氏が書いた、「 洗脳原論 」や、「 スピリチュアリズム 」だった気がしますが、10年以上前でした。 苫米地英人氏についてちょっとだけ・・・ 苫米地英人氏は、今でこそ胡散臭い感じで、昔から「車はフェラーリだけ」だったり、「洗髪は毎日行わず、数日に1度サロンで行う」みたいな人で、一番有名なのはオウム真理教の事件で公安の捜査協力をした話や、その後に結婚したのがオウムシスターズの清水という女性だったりします。あまり長々書くほど知らないのですが、ともかく苫米地氏の本は、「儲ける為」の本と「ホントに書きたいこと」の本があるんですよね。「儲ける為」の本は、殆ど中身は使いまわしの表現が多いです。ただ、「 洗脳原論 」「スピリチュアリズム」あたりは、若い時に書いたからなのか、内容はよく覚えてませんが、今書いている氏の本とは違う印象のようです。とはいえ、氏の本は切っ掛けの一つになっていました。 「記憶」という言葉で表現される事柄・記憶の曖昧さ その頃から、「認知」という言葉を覚えるようになり、「記憶」にたどり着き、人はどうやって現実世界を形作っているのだろうか、という事に興味を持ちました。  同じものを見ても、行動を共にしても、それこそ結婚して同じように子供に愛情を注いだような経験があったとしても、人間には人それぞれの知覚があって、認知があって、記憶がある。そして、その記憶がその人の現実感を作る部品の一つ一つになるし、過去や未来、という時間軸の中に記憶を押し込んで考えるとき 発生する「抜け」をまた記憶で補う 。 こうして作られた 現実感は、それこそ人それぞれ なんだと。  最近読み終わったと書いた「 人はなぜ宇宙人に誘拐されるのか? 」は、脳機能や脳の活動を割と読みやすく(・・・それ...

「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」を読んだ

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「なんでこんな目に合うのだろう・・・」 そんなふうにと思ったことは一度や二度じゃない。仕事でもプライベートでも、それこそ一日の中でも期待と裏切りは常に存在している。夏の暑い日に偶然、大きな交差点で長々と信号に待たされるだけでも「こんな暑い日に、なんでこんな目に合うのだろう・・・」と思ったりする。  期待通り、何事もなく過ごせる人生というものは、そもそもが有り得ない減少なんだろうなと思う。私がうつ病になったときにも「なんで・・・」と思った。 その「なんで・・・」という、期待通りに行かなかった事柄(実際には、期待も予測もしてないのに、ただ辛いというだけのことがほとんどだったりするけれど)を、そのまま飲み込むということには限界があるんだよな、ということは最近よく実感することだった。 実際うつ病になった時は、それらの「なんで」という謎に対して都合よく何かしらの理屈をつけたり、無視したり、それらが残してゆくストレスを酒で忘れようとしたりして、「大したことじゃない」と思いながら、通り過ぎて行けていた・・・はずの自分に、それ相応のストレスが溜まっていたということが原因の一つである可能性を告げられ、 「俺は乗り切ってきたのに」 と思って、悔しくて涙が出たことがあった。どんなことも起こりうる、疑問や不条理はいつでもありえるし、私はそれを乗り切ってきたはず・・・と思っていたが、そんなことはなかった。 私の場合は、自らの中でストレスが引き起こす感情を無視し続けていた事によって、心がついに折れた、という感じだった。それでも私はそれを認めなかった。 記憶、「なんで」に対する答え というわけで、うつ病の話になっちゃったのですが、実は本を読み終えて、なんとなく書いておこうと思ったのです。「記憶」という人間の機能に、昔からとても興味があって、その流れで読んだ本です。有名なエリザベス・ロフタスの著書も読みました。今回読んだのは、 「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」(スーザン・A・クランシー著 早川書房) です。 心理学や精神医学を研究して科学的に人間の心の動きを解き明かしてゆく本は、フロイトやユングを始めたくさん出ていて、それが難しいもんだから、それを凄く短絡的に、簡易に、時には本旨とはずれて伝える本もたくさん出ています。 読んでいる時や読み終わった時は、満...

映画「フォード vs フェラーリ」、来年公開

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私は車が好き それほど詳しいわけではないですが、車が好きです。自分が乗っているのは、ボロボロのパサートB5.5で、もうあちこちガタガタですが、最後のエンジン縦置きパサートなので、気に入ってます。  そして、もちろん、良くは知りませんが、F1とかモータースポーツも。F1で言えば、明日はオーストリアGPがあります。いつも、ルイス・ハミルトンが予選でも抜群に速いイメージですが、 今回は、フェラーリのシャルル・ルクレールがトップ のようですね。スターティンググリッドはまだわかんないっぽいです。(6/29 23時現在)  日本では、昔フジテレビが日曜日の夜中に中継してくれていました。私が子供の頃だったと思います。実際、アイルトン・セナが事故を起こして亡くなったレースを、実際見ていたはずです。 ル・マン、インディ500、ニュル・・・ 6月はル・マン24時間もありました。LMP1の車両がどんどん減ってる感じが何とも言えず、トヨタが、中嶋一貴が活躍してました。LMP1はアウディやポルシェがいなくなって、何となく「面白くないなぁ・・・」ってなって、それよりも、GT1クラスが好きですね。    後は、インディ500で佐藤琢磨の活躍です。レギュレーションを始めてみてみたんですが、インディ500は結構厳しめに見えました。もちろんF1もですがエンジンはホンダとシボレーのみ、タイヤもブリジストン傘下のファイアストンで、今回はF1で2回の総合優勝で、有名なフェルナンド・アロンソが予選落ちという。でもこの人は、今回マクラーレンで駄目だったけど確か、過去にどこかのチームで出てるですよね。  後は、ニュルブルクリンク24時間。これは、YouTubeで生放送でした。4世代ぐらい前のゴルフとかも走ってたり、あのアップダウンが激しく、上り坂の先のカーブが見えない北コース25㎞を走ってるってのは、正直他のレースにはない緊張感がありました。初めて、見てたんですが(24時間、ずっとじゃないですが・・・)やっぱり、ポルシェ、メルセデス、BMWが強かったですね。AudiのR8も出てましたが、ポルシェが目立ってた印象。 ・・・で、YouTubeを見てたら、こんな動画を見つけたわけです。 「フォード vs フェラーリ」(2020年1月公開予定) これは、見たいともいました。フォードGT...

SNSから離れる

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Facebook, Instagram, Twitter・・・ Facebookを辞めて、もう半年以上になります。Instagramもフォロワーは200名程度で したが、その中でのコミュニケーションがあったりして色々と活用していましたが、3か月、放置しています。今は、アプリもアンインストールしています。Twitterは一番よく見ています。でも、以前と比べると、随分減りました。一日に1度しか見ないときもあります。前はもっと見てたのに。 SNS疲れ 主に使っていたSNSはこの3つでした。LINEはいまだに連絡手段として使っています。ただ、テキストメッセージの定番になっているから、という理由だけで、特にLINEの機能が素晴らしいとは思っていません。これがSkypeでもいいわけです。 LINEの「投稿」という、所謂、掲示板的なモノは、ほぼ見ないです。見る必要がなさすぎる。LINEミュージックも、契約していません。それに、自分の気分なりを表現するプロフィールの一言も書いていません。  うつ病が再発してから、こうした「SNS離れ」が自分の中でははっきりしてきました。そして、最近こんな記事を見つけた。 ツイッターを今すぐやめるべき「たった1つ」の理由 6/22(土) 6:01配信(Yahoo!ニュース・ダイヤモンドオンライン) ”ツイートを共有する、フェイスブックを更新する、インスタグラムに写真を載せるといった行動は「時間クレーター」の元凶だ(「時間クレーター」とは、一瞬の時間を使うだけと思ってすることが起こす大きな時間のロスのこと。たとえば 、数秒しか要しないつもりでツイッターでつぶやいても、そこからほかのツイートを見たり、しばらく自分のツイートへの反応を気にしたりして、結果的に30分以上の大きな時間ロスにつながることになる。 『時間術大全』参照)。”( リンク先 より引用) ここでは、 『時間術大全――人生が本当に変わる「87の時間ワザ」』(ジェイク・ナップ、ジョン・ゼラツキー著、櫻井祐子訳、ダイヤモンド社) という著書の一部を抜粋している感じで書かれています。 次の一文は、頷けました。 "だが、それらが危険な理由がもう1つある。そうしたことをすると、 「見せかけの達成感」 を得られるのだ。"( リンク先 より引用) ...

Netflixについて( Murder Mystery)

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Netflixは頑張ってる 私は海外ドラマが好きなんです。今でこそですが、「特攻野郎Aチーム」「ナイトライダー」「超音速ヘリ エアーウルフ」「冒険野郎 マクガイバー」「ナイスサーティーズ」、これらは、10代の頃、親の目を盗んで水曜日の夜中、木曜未明ですが、1時~3時とかで見てた思い出です。  それから、25年ぐらいたったら、こんなに手軽に、そして、たくさんのアイデアがネットで見れるってのに、改めてすごいなぁ・・・と。で、今晩見てたのが、これでした。 Murder Mistery  「フレンズ」の ジェニファー・アニストン は、もう50歳、 アダム・サンドラー も52歳。いい歳ですね。結婚15周年でやっと新婚旅行での出来事を1時間半ちょっとで、纏めています。テンポがよくて内容はそれほど深くないので、ちょいちょいトイレに行きながら、酒飲んでも見れます。  要は、1話完結のドラマ仕立てなんですね。Netflixは映画でもドラマでもないこういう作りが良いです。エンターテイメントを、消費者側の生活から提供してる。 消費財 映画、ドラマ、この二つ以外に、動画で物語を語るってのは、ジャンルがないのだけれど、消費財、常に消費されるコンテンツとしてとらえれば、考え方なんだなと思います。 ジェニファー・アニストンなんて、ほんとうは大金持ちなはずなのに引っ張り出したのか本人が出たいといったのか。ともかく、上手です。「フレンズ」みたいなのを長くやってたから、恐らく3時間級の長いスペクタクルよりもこういうドタバタの方が向いてるんでしょうし、わかってるんでしょうね。 こういう中でも、名作、所謂、後世に残る作品が生まれることを期待します。 実際、Netflix株を買いたい。