感情で戦争教育する時代ではない
戦後、74年。
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| (By George R. Caron - Nagasakibomb.jpg Atomic_cloud_over_Hiroshima.jpg, パブリック・ドメイン, Link) |
第二次世界大戦が終わったというのは毎年、夏の恒例の話題になっている。8月6日には広島、8月9日には長崎へ原子爆弾がそれぞれ投下され、8月14日にポツダム宣言に関して、御前会議にてポツダム宣言を詔勅によって受諾することを決め、8月15日の正午に玉音放送にて国民が、戦争が終わったことを知る。国外で戦闘状態だった陸軍へは16日に、その事実が通達される。「無条件降伏」というやつです。
「戦争を繰り返してはいけない」の先
そんなこんなで、私達、太平洋戦争の傷を見る事がほとんどない世代は、「戦争は繰り返してはいけない」という言葉を刷り込まれて育っています。もちろん、戦争も人殺しもしたくはありません。なので、こうした感覚自体を間違った感覚、と思う事はありません。誰だって、首元にナイフを突きつけたり、突きつけられたりすることが無ければ、それの方が良いと思うと思います。それに、そう思う方が、その一時点を切り取って考えれば自然だと思います。それは良いのです。ただ、それだけでいいのか?、という疑問があります。
実際、戦争の悲惨さを写真や口伝で「もう二度と繰り返さないでほしい」と感情に訴えている方や、そうした展示は多くあります。そして、多くの子供が、「日本は昔、戦争をして原爆を落とされた、大変多くの人が無くなって、可愛そうな思いをした・・・」程度の文脈でなら、戦争を覚えています。
40歳も超えて、自分の子供達も戦争に関する教育を受けていることを知ることになったりします。小学生の息子と高校生の息子がいますが、二人とも私と似たような教育を受けています。先日、小学4年生の息子に「戦争の授業ってある?」と聞くと「あぁ、みよちゃんのやつ?」と言っていました。原爆の爆心地、広島での少女の話のようです。
ここでも疑問がありました。「戦争=被ばく」が最初のイメージ、ということ。それだけではない、ただ悲しい思いを、受け入れがたい戦争を押し付けられたという事を刷り込まれるだけの教育でいいのかな、と思いました。私たちの頃と大して変わらない。
戦争を経験された方々の情報発信
戦争経験された方々について何か言うつもりはもちろんないです。正直、戦時中を生き延びた方々へは言葉がありません。私が同じ立場であれば、死んでいたろうな、そんな風にしかもう思えない。生死の境目で生きる事ができて、その後も生き続けている方々に対しては、努力もさることながら、その生きた時代の凄まじさを想像する以外、できる事がありません。この記事を読んで、その経験と情報を発信し、日本人が戦争に対してどうあれば、平和でいられるのかという議論は別の様な気がするな、と思いました。私達の時代にはまだまだ、戦争の「感情」が残っています。第二次世界大戦の経験を持つということは、そこに感情がある。強烈な感情の渦があるはずです。
それを、そのまま若い世代に「こんなに大変だったのだ、だから戦争は繰り返してはいけない」で、本当に伝わるのか疑問です。「大変だったんだ・・・」って、大変ってなんだ?ってなってきます。要するに、その経験者の感情に頼ってばかりいる戦争教育は全然、意味がないんです。
あの戦争はなぜ起きたのか、日本はその時、どうだったのか。
今より貧しかったとか、今より厳しかったとか、そんな言葉ばかり聞きますが、そんな話ではなく、なんで日本は戦争をしたのか、そこに、慢心は無かったのか、それに至る意思決定において、考慮すべき事柄や情報は足りていたのか、そういうことが伝わってこない。
ただ、「尊い命を戦争で無駄にしてはいけない⇒悲惨な出来事を繰り返してはいけない」ってだけで、「なぜ戦争が必要だと判断されたか」ということはわからない。
教育は日本をどうしたいのか
例えば、「戦争する」という決断をするシミュレーション
義務教育で、それを教えるのは「教えても分からんだろう」と、そんな風に思っているのであれば、日本の教育は非常に高慢だと思います。どうせわからない、どうせわかりっこない。そんな風に思っていないでしょうか。日本は戦争を選択しない、のであれば、何がどうであればよいのか。ただ、悲惨な過去の感情を想起したり、想起させるような通り一遍の教育をすればいいのか、戦争体験者は自らの疎開の話や親族が赤紙を貰った話を涙ながらにすればよいのか、その辺を考えてほしい。私達は知らないのだから。有識者は、もっと今の時代を見据えて戦争を語ってほしい。
もっと言えば、「戦争はしたほうがよかったか、しない方がよかったか、それはなぜか」というテーマが、義務教育の中にあっても良いと思います。シミュレーションをさせる。ただ、する、と決断した場合は現実には最後に原爆を落とされたという一つの実証があるという事も考えて、する、という決断に至らなくてはいけない。
頭を使わなさすぎるんですよね。何故、が少なすぎる。
日本はどうありたいのか、日本人は世界でどうなりたいのか、そういうビジョンも含めて、日本はまだ未熟な気がします。まだ、戦後で感傷に浸っている世代と、戦争を授業だけで知り、あとは無関心な世代、それだけしか残らなかった、そういうことが無いと良いと思います。

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