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「人はなぜ宇宙人に誘拐されるのか?」を読んだ

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記憶に関する本 記憶に関する本を、最近数冊読みました。記憶については、随分前から気になっていたテーマではあったので、まだ知りたいと思う事は多いです。 最近読み終わったのは、「 人はなぜ宇宙人に誘拐されるのか? 」という本です。 似たような題名で「 なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか 」という本もあります。これについては読んですぐに、 感想を書きました 。 最近読んだ記憶に関する本は「 抑圧された記憶の神話 」「 子どもの頃の思い出は本物か 」でしたが、もっと前には苫米地英人氏が書いた、「 洗脳原論 」や、「 スピリチュアリズム 」だった気がしますが、10年以上前でした。 苫米地英人氏についてちょっとだけ・・・ 苫米地英人氏は、今でこそ胡散臭い感じで、昔から「車はフェラーリだけ」だったり、「洗髪は毎日行わず、数日に1度サロンで行う」みたいな人で、一番有名なのはオウム真理教の事件で公安の捜査協力をした話や、その後に結婚したのがオウムシスターズの清水という女性だったりします。あまり長々書くほど知らないのですが、ともかく苫米地氏の本は、「儲ける為」の本と「ホントに書きたいこと」の本があるんですよね。「儲ける為」の本は、殆ど中身は使いまわしの表現が多いです。ただ、「 洗脳原論 」「スピリチュアリズム」あたりは、若い時に書いたからなのか、内容はよく覚えてませんが、今書いている氏の本とは違う印象のようです。とはいえ、氏の本は切っ掛けの一つになっていました。 「記憶」という言葉で表現される事柄・記憶の曖昧さ その頃から、「認知」という言葉を覚えるようになり、「記憶」にたどり着き、人はどうやって現実世界を形作っているのだろうか、という事に興味を持ちました。  同じものを見ても、行動を共にしても、それこそ結婚して同じように子供に愛情を注いだような経験があったとしても、人間には人それぞれの知覚があって、認知があって、記憶がある。そして、その記憶がその人の現実感を作る部品の一つ一つになるし、過去や未来、という時間軸の中に記憶を押し込んで考えるとき 発生する「抜け」をまた記憶で補う 。 こうして作られた 現実感は、それこそ人それぞれ なんだと。  最近読み終わったと書いた「 人はなぜ宇宙人に誘拐されるのか? 」は、脳機能や脳の活動を割と読みやすく(・・・それ...

SNSから離れる

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Facebook, Instagram, Twitter・・・ Facebookを辞めて、もう半年以上になります。Instagramもフォロワーは200名程度で したが、その中でのコミュニケーションがあったりして色々と活用していましたが、3か月、放置しています。今は、アプリもアンインストールしています。Twitterは一番よく見ています。でも、以前と比べると、随分減りました。一日に1度しか見ないときもあります。前はもっと見てたのに。 SNS疲れ 主に使っていたSNSはこの3つでした。LINEはいまだに連絡手段として使っています。ただ、テキストメッセージの定番になっているから、という理由だけで、特にLINEの機能が素晴らしいとは思っていません。これがSkypeでもいいわけです。 LINEの「投稿」という、所謂、掲示板的なモノは、ほぼ見ないです。見る必要がなさすぎる。LINEミュージックも、契約していません。それに、自分の気分なりを表現するプロフィールの一言も書いていません。  うつ病が再発してから、こうした「SNS離れ」が自分の中でははっきりしてきました。そして、最近こんな記事を見つけた。 ツイッターを今すぐやめるべき「たった1つ」の理由 6/22(土) 6:01配信(Yahoo!ニュース・ダイヤモンドオンライン) ”ツイートを共有する、フェイスブックを更新する、インスタグラムに写真を載せるといった行動は「時間クレーター」の元凶だ(「時間クレーター」とは、一瞬の時間を使うだけと思ってすることが起こす大きな時間のロスのこと。たとえば 、数秒しか要しないつもりでツイッターでつぶやいても、そこからほかのツイートを見たり、しばらく自分のツイートへの反応を気にしたりして、結果的に30分以上の大きな時間ロスにつながることになる。 『時間術大全』参照)。”( リンク先 より引用) ここでは、 『時間術大全――人生が本当に変わる「87の時間ワザ」』(ジェイク・ナップ、ジョン・ゼラツキー著、櫻井祐子訳、ダイヤモンド社) という著書の一部を抜粋している感じで書かれています。 次の一文は、頷けました。 "だが、それらが危険な理由がもう1つある。そうしたことをすると、 「見せかけの達成感」 を得られるのだ。"( リンク先 より引用) ...

仕事のあれこれ

仕事をしていると、いろんなことが気になる。皆同じだと思うけれど、気になったものをどうやって処理するか、どうやって表現するかというのは、それぞれ気になる。それぞれの立場で色々なことを気にしながら、最後に出力される答えはマチマチになってくる。 この会社に入って半年経った。居心地は悪くないのだが、他の社員と話をしていて、なんだか期待にこたえ切れなかった自分を感じた。この上期を振り返ってみると、何を期待されているのか、何ならできるのか、今の状態でどうやるべきか・・・。それぞれに自分が反応できる答えを見つけることができなかったことを思い出す。この会社での身の振り方で言えば、ちょっと勘違いしていたかも知れない。 これから会社でどうしよう 会社の人間と話していると、この上期を振り返って色々な話を聞いたが、私を見て、「大変そうだ」ということをよく言う。この一言は実に曲者で、「大変そう」っていうのは、言いたいことは深く、それでいて言葉自体に意味は無い。「本当に大丈夫?」という言葉もその中に含まれているだろうし、「本当に大変そうだね、」という同情もあるだろう。「残念だね」もあるだろうし、「ちょっとムリなんじゃない?」もあるだろう。いろいろな意味がある、この「大変そうですね」という一言をいろいろな人からもらった。 そんな言葉をもらう中で、なんとなく炙り出されてきたのは、自分のできることをやってない、という思いだった。自分の全力を尽くさず、何かを待っているのか、怖がっているのか。 自分のできることを意識する 意見を言う 斜に構えない 必要と思われることは、全て書く 今までの経験から予測する 変化が必要なときは、そのように言う。 元々、仕事の上で自分のできることをやる・・・全力でやる・・・という基本的なことに凄く怖がり。耳と目はいいけど、手が動かないタイプの典型だと思う。その上、耳と目で仕入れたことを口にもしないので、指示待ちに見える部分もある。要するに、「出し惜しみ」をしているのだ。行動全般に昔から怖がり。 行動に移すということ なぜ、出し惜しみをしているか、といえば、出した結果に対する評価が怖いから。誰だってそうだけど、行動に移して、結果がどうなるかは怖い。私はそれが人一倍怖い。きっと気がつくことは多いと思う。それが故に、怖くなってしまうこともある。 なんとなく、以下に行動と気付きについ...

チャートの意味

チャートを見ていると、気がおかしくなりそうになることがある。明日は、次の瞬間は、このグラフは上に行くのか、下に行くのか、そんなことを考えていると、なんだか周りの目を気にしながら生きている時の自分を思い出す。自分の評価は?彼は、彼女は、自分をどう観ているのだろう・・・、そう思い始めたときに次の一歩を踏み出すきっかけは、思い切りだったりする。その思い切りるきっかけは、自分で方向性を見出して、方向性を決めるときだ。 株価は毎日、瞬間瞬間で変わる。そのチャートを見ていて、如実にわかること。そのチャートが示していることは、未来は分からないのだ、という事実を分からせてくれているように見えてくる。記録は、常に過去を示していて、僕たちは、過去を判断基準にして生きている。こればっかりはしょうがない。 あとは、自分に言い聞かせよう、「次のチャンスもある、何度でもバットを触れるようにしておこう」

迷信と行動

例え話 ある時聞いた話。 「私の聞いた話なんだけど、よく遊び人っているじゃない?そういう人と結婚した女性がいたのね。で、その人、結婚してからも女遊びがひどかったんだって。奥さんにバレても止める様子がなかったんだってさ。でもね、奥さんは分かれませんでした。なぜかというと、その人の子供がおなかにいたの。」 「そーなんだ。それはそれは・・・・。」 「うん。その子にお父さんがいないのは、寂しいだろう・・・とおもって、我慢してたんだって。出産するときになると、だんなさんも駆けつけたんだけど、生まれた子供を見てびっくり・・・。」 「どうしたの?」 「その子供の、指が全部なかったんだって・・・・。それから、その男の人は、女遊びを止めたんだってさ・・・」 こういう、理屈の通らない話は世の中にゴマンとあって、雰囲気的には、都市伝説・迷信の類である。実際、この話が事実かどうかというのは、ほぼどうでも良い話であって、結果的に「女遊びをすると、えらい目にあう」という教訓が伝わればいいという話。 こうした、いわゆる、「迷信」というのは、たくさんある。都市伝説と呼ばれる形になっているものもたくさんあるし、結果的に話し手は「何かを伝えるときにストーリー立てて、身近な話題とすり合わせて、例え話にして伝える」ということをする。物事を率直に伝えても、相手の心に届かないことのほうが多く、逆に、少し現実を端折った例え話で身近な事例として感じさせ、話しをしたほうが、聞き手には響く場合が多い。 臨場感 ほとんどの場合、昔話は、迷信が持つコミュニケーション・プロセスを用いて、「何か普遍性のある理屈をつたえ、あるべき姿、を伝えるために作られた事実をベースにしたフィクション」を伝える手段とでもいえるのではないか。一定の効果があり、時代をわたって行き続けてきた話なので、今でもその効力は衰えない貫禄がある。 ここで問題にしたいのは、こうした話の内容一つ一つの科学的な妥当性や、理論的な裏づけではない。そんなものは手繰っても大して意味はないわけで、問題にしたいのは、「なぜ、われわれは事実を確認しないまま、こうした話の持つ臨場感に左右されてしまうのか」ということだ。こうした話には、理性で疑っても、疑いきれない、否定しきれない、感覚的・感情的な「臨場感」がある。この臨場感が「迷信」が人の行動をコントロールすることができる大きな...