「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」を読んだ

「なんでこんな目に合うのだろう・・・」

そんなふうにと思ったことは一度や二度じゃない。仕事でもプライベートでも、それこそ一日の中でも期待と裏切りは常に存在している。夏の暑い日に偶然、大きな交差点で長々と信号に待たされるだけでも「こんな暑い日に、なんでこんな目に合うのだろう・・・」と思ったりする。
 期待通り、何事もなく過ごせる人生というものは、そもそもが有り得ない減少なんだろうなと思う。私がうつ病になったときにも「なんで・・・」と思った。
その「なんで・・・」という、期待通りに行かなかった事柄(実際には、期待も予測もしてないのに、ただ辛いというだけのことがほとんどだったりするけれど)を、そのまま飲み込むということには限界があるんだよな、ということは最近よく実感することだった。
実際うつ病になった時は、それらの「なんで」という謎に対して都合よく何かしらの理屈をつけたり、無視したり、それらが残してゆくストレスを酒で忘れようとしたりして、「大したことじゃない」と思いながら、通り過ぎて行けていた・・・はずの自分に、それ相応のストレスが溜まっていたということが原因の一つである可能性を告げられ、
「俺は乗り切ってきたのに」
と思って、悔しくて涙が出たことがあった。どんなことも起こりうる、疑問や不条理はいつでもありえるし、私はそれを乗り切ってきたはず・・・と思っていたが、そんなことはなかった。
私の場合は、自らの中でストレスが引き起こす感情を無視し続けていた事によって、心がついに折れた、という感じだった。それでも私はそれを認めなかった。

記憶、「なんで」に対する答え

というわけで、うつ病の話になっちゃったのですが、実は本を読み終えて、なんとなく書いておこうと思ったのです。「記憶」という人間の機能に、昔からとても興味があって、その流れで読んだ本です。有名なエリザベス・ロフタスの著書も読みました。今回読んだのは、「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」(スーザン・A・クランシー著 早川書房)です。
心理学や精神医学を研究して科学的に人間の心の動きを解き明かしてゆく本は、フロイトやユングを始めたくさん出ていて、それが難しいもんだから、それを凄く短絡的に、簡易に、時には本旨とはずれて伝える本もたくさん出ています。

読んでいる時や読み終わった時は、満足感もあるし、「なんで」が少し解決された感じもします。「これこれ、こうだから、こうなったのだよ」という、話が数百ページに渡って書いてある。

 しかし、隣の書架を見ると、スピリチュアルな内容で、「ハイヤーセルフ云々」「生年月日でわかる運命」みたいな本もたくさん出ている。私はそういう本が嫌いなのです。もっと言えば、「その物語が嫌い」なのです。

なぜかといえば、私の「なんで」の答えにフィットしないから。それでもたくさんの本が出ていて、実際、身内にすらそういう話を真剣に受け止めている人間がいたり、友人の中にも、そういう話を信じていることをカミングアウトされたりするので、需要のある物語なのだな、と思います。

「信じやすいものを信じ、生きやすい様に生きる」

でもこの本を見て、人間はなんとも言えず、思った以上に短絡的であり、それでいて、人生って、短絡的だろうが、非科学的であろうが、幸せに生きれれば、それで良いんだよな・・・と思わせた本でした。こう書いていながら、完全に納得しているわけではないですが、実際には、そういうことなんですよね。

科学的に証明されていても居なくても、神様の存在で助かっている人たちはたくさんいる。この本では、エイリアンに誘拐(いわゆる「アブダクション」)された人たちの心理を実験も含めて解き明かしていきます。

「エイリアンのおかげ」

一番印象的だったのは、実験の対照群への質問に、「エイリアンに誘拐されて良かったか」というような質問があり、ほとんどのビリーバー(誘拐されたと主張する人)は「良かった」と言っているというところでした。
彼らは、著者との対話の中で、エイリアンに体を触られただの、レイプされた、誘拐されて、装置を埋め込まれた、子供を産まされた、という体験談を聞き、それを語る彼らが怯えており、トラウマになっていると判断します。
しかし、当の本人達は、実際にはその行為自体を受けて、幸せになったというのです。世界が広がった、心が安らいだ、他人を許せるようになった・・・など。要するに、最近よくでてくる言葉の「生きにくさ」から開放されたと言っており、同じことがあればもう一度体験するか、という問いにも「イエス」と答えているのです。

まだ余り頭がまとまらないので、このくらいにしておきますが、人は生きる為に物語を選んで、それを信じることで、「なんで」という、不確実性から開放され、前向きに生きることができるのかもしれない、と思いました。拘っている私は確かに偏屈だなと思いましたね。しかし、これも私の物語であることも、一つの事実なんですよね。

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