SNSから離れる

Facebook, Instagram, Twitter・・・

Facebookを辞めて、もう半年以上になります。Instagramもフォロワーは200名程度で
したが、その中でのコミュニケーションがあったりして色々と活用していましたが、3か月、放置しています。今は、アプリもアンインストールしています。Twitterは一番よく見ています。でも、以前と比べると、随分減りました。一日に1度しか見ないときもあります。前はもっと見てたのに。

SNS疲れ

主に使っていたSNSはこの3つでした。LINEはいまだに連絡手段として使っています。ただ、テキストメッセージの定番になっているから、という理由だけで、特にLINEの機能が素晴らしいとは思っていません。これがSkypeでもいいわけです。
LINEの「投稿」という、所謂、掲示板的なモノは、ほぼ見ないです。見る必要がなさすぎる。LINEミュージックも、契約していません。それに、自分の気分なりを表現するプロフィールの一言も書いていません。
 うつ病が再発してから、こうした「SNS離れ」が自分の中でははっきりしてきました。そして、最近こんな記事を見つけた。

ツイッターを今すぐやめるべき「たった1つ」の理由6/22(土) 6:01配信(Yahoo!ニュース・ダイヤモンドオンライン)

”ツイートを共有する、フェイスブックを更新する、インスタグラムに写真を載せるといった行動は「時間クレーター」の元凶だ(「時間クレーター」とは、一瞬の時間を使うだけと思ってすることが起こす大きな時間のロスのこと。たとえば、数秒しか要しないつもりでツイッターでつぶやいても、そこからほかのツイートを見たり、しばらく自分のツイートへの反応を気にしたりして、結果的に30分以上の大きな時間ロスにつながることになる。『時間術大全』参照)。”(リンク先より引用)
ここでは、『時間術大全――人生が本当に変わる「87の時間ワザ」』(ジェイク・ナップ、ジョン・ゼラツキー著、櫻井祐子訳、ダイヤモンド社)という著書の一部を抜粋している感じで書かれています。

 時間術大全 次の一文は、頷けました。
"だが、それらが危険な理由がもう1つある。そうしたことをすると、「見せかけの達成感」を得られるのだ。"(リンク先より引用)
そうなんです。ここでは、「見せかけの達成感」と書いていますが、私は自己分析のなかで満足感を得るためにその場しのぎで自分を誤魔化す事を繰り返していた過去に気づいた事がありました。まさにこれだなぁ、と「我が意を得たり」という気はしました。
まぁ、冷静に考えれば当然なんですが。
”ネット上のやりとりにコメントすると、何かをやり遂げたような気になり、「仕事をしたぞ!」と脳が知らせてくる。”(リンク先より引用)
そうなんですね。人間って、反応でその場は満足できるんですよね。自分から能動的に、第一原理的な発想で何かを始めるってのは、すごく大変。だから、誰かの何かに反応したり、自分の思い付きを反応されたりして、その反応にまた反応することで、充足される。で、充足されると、その時間は満足感を得ることができるけど、どんどん、表現や投稿がエスカレートしていったり、それに費やす時間が多くなっていったりします。
 要は「承認欲求に対する依存」が始まるんだと思います。
”だがネット上のコメントは、100個のうち99個までが取るに足りないものだし、それなりの代償を伴う。つまり、本当にやるべきことに費やしていたはずの時間と労力が奪われるのだ。見せかけの達成感は、やるべきことに集中する妨げになる。”(リンク先より引用)
ここで問題になるのが、「本当にやるべきこと」というやつです。仕事でもなんでも、ほんとうにやるべきことっていうのが、何だかわからない・・・もしくは、「ない」っていう事も含めて、考えることがないのです。

反射神経

SNSをやっていると思ったのは、こういうのって、反射神経レベルでやってるだけで、思考しているわけではないのではないか、っていう事です。つねられたら痛い、褒められたらうれしい、程度です。理由なんて、そんなにないのです。
 これが続くと、「なぜ」という問いに答えるためにの思考能力が低下すると思います。原始的な部分だけ使っているから、自ら論理を組み立てて、方向付けをして何をもって結果とするか・・・ということができなくなる。

 そのうち「私は何者なのだろう」というヘンテコな「ホントの自分探し」みたいなのが出てくる。そもそも「ホントの自分」なんて、今ある一瞬の自分でしかないのに、SNSの中を徘徊するように、何かに答えを求める。答えというより、自分の根源的な問いに対するシンプルで、短絡的であっても答えを誰かに言ってもらいたいのかもしれません。

「いいね」の力

Facebookができた時、「いいね!」が話題になり、「よくないね」も作るべきなのではとか、そんな話まで持ち上がりました。段々、自分の投稿にどれだけの「いいね!」が付くのか気になり始める。今回取り上げた記事のもとになった本の著者は要するに「そういうことを気にしている時間というのは、思っているよりも長いし、無駄なんだぜ。もっと意味のあることに使おう」って言ってるようです。
 しかし、実はそれは見つからない。「意味のある事」ってのが、何なのかわからない。
実際には、これはSNSを離れた、仕事の中でも同じことが起きます。昔からありますが、手段の目的化もその一つだと思います。要するに、ほんとうのゴールがどこか分からないけど、目の前のことに反射的に対応することで、褒められたりすることで人生を送るという事ですね。

社会から離れて

うつ病になってから、社会から否応なく離れることになりました。誰のせいでもない、これは私の出来事であり、私の過去の決断の積み重ねです。

 たまに、マクドナルドや、電車の中、図書館で、サラリーマンがパソコンを開いて、何か見ています。仕事をしてる人もいれば、ほとんど暇つぶしに近いことをしている。若い人に良くあるのは、マクドナルドで電源を占有しスマホにかじりついて、イヤホンをして周りを寄せ付けないような空気感を出しているスーツ姿の人。

 デイケアに通う私ですが、サラリーマン、外回り営業の経験からして、その人たちの心の闇も分からなくないです。結局、紙一重なんだな、ってすごく思いました。

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