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仕事メモ・主体性

若い頃、随分と上司にたてついたことを思い出す。下のエントリにある、グループディスカッションの件を考えていて、思い出した。転職を繰り返しているうちに分かったことは、自分が求めていること。 完全な上司 完全な職場 完全な仕事 こうしたものを、きっと何処かで求めていたのだろうと思う。「会社や回りを利用すればいい」という言葉を理解するのに非常に長い年月が掛かったのも、こうした甘えた理想論を捨て切れなかったからだろう。今の会社に転職する前にぐらいから、そう思えてきた。20代の頃に感じたことは、ほぼこうした稚拙な発想がスタートだった気がする 主体性 要するに、主体性がなかったのだろう。そういう意味では、親になる過程でも、この主体性は試されることが何度かあった。今、この話の流れで、「大人」を定義するのであれば、この「主体性」の有無もその判断基準に入ってくるのだろう。 主体性という言葉を、辞書でひいてみると・・・ 自分の意志・判断で行動しようとする態度 。「―のない人」「―をもって仕事に取り組む」 (Yahoo!辞書より) ということらしい。この説明をみて面白かったのは、主体性は、「態度」なのだということ。物事に取り組む態度に、自分の意志がこめられているか、ということだ。その状況に自分の意志を絡めるコトができているか、ということだ。個性や、意志の強さ、遂行能力ではなく、行動する様、意志を持って判断する様子、そういうことを主体性というんだな。 仕事に主体性がない、という話に戻れば、その仕事を理解してない、という切り口も出てくるかもしれない。理解するに至らない。もしも、状況に対して文句が多いのであれば、それは状況を理解できていないからこそでてくる、「質問」が言い方を変えて出てきたものなのかもしれない。 映画「スピードレーサー」で出てきた言葉が思い出される。 「レース界なんてどうだっていい、問題はレースが自分を、どう変えるかだ。」 (映画「スピードレーサー」・レーサーXが、スピードを諭すシーン)