投稿

7月 2, 2019の投稿を表示しています

「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」を読んだ

イメージ
「なんでこんな目に合うのだろう・・・」 そんなふうにと思ったことは一度や二度じゃない。仕事でもプライベートでも、それこそ一日の中でも期待と裏切りは常に存在している。夏の暑い日に偶然、大きな交差点で長々と信号に待たされるだけでも「こんな暑い日に、なんでこんな目に合うのだろう・・・」と思ったりする。  期待通り、何事もなく過ごせる人生というものは、そもそもが有り得ない減少なんだろうなと思う。私がうつ病になったときにも「なんで・・・」と思った。 その「なんで・・・」という、期待通りに行かなかった事柄(実際には、期待も予測もしてないのに、ただ辛いというだけのことがほとんどだったりするけれど)を、そのまま飲み込むということには限界があるんだよな、ということは最近よく実感することだった。 実際うつ病になった時は、それらの「なんで」という謎に対して都合よく何かしらの理屈をつけたり、無視したり、それらが残してゆくストレスを酒で忘れようとしたりして、「大したことじゃない」と思いながら、通り過ぎて行けていた・・・はずの自分に、それ相応のストレスが溜まっていたということが原因の一つである可能性を告げられ、 「俺は乗り切ってきたのに」 と思って、悔しくて涙が出たことがあった。どんなことも起こりうる、疑問や不条理はいつでもありえるし、私はそれを乗り切ってきたはず・・・と思っていたが、そんなことはなかった。 私の場合は、自らの中でストレスが引き起こす感情を無視し続けていた事によって、心がついに折れた、という感じだった。それでも私はそれを認めなかった。 記憶、「なんで」に対する答え というわけで、うつ病の話になっちゃったのですが、実は本を読み終えて、なんとなく書いておこうと思ったのです。「記憶」という人間の機能に、昔からとても興味があって、その流れで読んだ本です。有名なエリザベス・ロフタスの著書も読みました。今回読んだのは、 「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」(スーザン・A・クランシー著 早川書房) です。 心理学や精神医学を研究して科学的に人間の心の動きを解き明かしてゆく本は、フロイトやユングを始めたくさん出ていて、それが難しいもんだから、それを凄く短絡的に、簡易に、時には本旨とはずれて伝える本もたくさん出ています。 読んでいる時や読み終わった時は、満...