「人はなぜ宇宙人に誘拐されるのか?」を読んだ

記憶に関する本

記憶に関する本を、最近数冊読みました。記憶については、随分前から気になっていたテーマではあったので、まだ知りたいと思う事は多いです。
最近読み終わったのは、「人はなぜ宇宙人に誘拐されるのか?」という本です。似たような題名で「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」という本もあります。これについては読んですぐに、感想を書きました

最近読んだ記憶に関する本は「抑圧された記憶の神話」「子どもの頃の思い出は本物か」でしたが、もっと前には苫米地英人氏が書いた、「洗脳原論」や、「スピリチュアリズム」だった気がしますが、10年以上前でした。

苫米地英人氏についてちょっとだけ・・・

苫米地英人氏は、今でこそ胡散臭い感じで、昔から「車はフェラーリだけ」だったり、「洗髪は毎日行わず、数日に1度サロンで行う」みたいな人で、一番有名なのはオウム真理教の事件で公安の捜査協力をした話や、その後に結婚したのがオウムシスターズの清水という女性だったりします。あまり長々書くほど知らないのですが、ともかく苫米地氏の本は、「儲ける為」の本と「ホントに書きたいこと」の本があるんですよね。「儲ける為」の本は、殆ど中身は使いまわしの表現が多いです。ただ、「洗脳原論」「スピリチュアリズム」あたりは、若い時に書いたからなのか、内容はよく覚えてませんが、今書いている氏の本とは違う印象のようです。とはいえ、氏の本は切っ掛けの一つになっていました。

「記憶」という言葉で表現される事柄・記憶の曖昧さ

その頃から、「認知」という言葉を覚えるようになり、「記憶」にたどり着き、人はどうやって現実世界を形作っているのだろうか、という事に興味を持ちました。
 同じものを見ても、行動を共にしても、それこそ結婚して同じように子供に愛情を注いだような経験があったとしても、人間には人それぞれの知覚があって、認知があって、記憶がある。そして、その記憶がその人の現実感を作る部品の一つ一つになるし、過去や未来、という時間軸の中に記憶を押し込んで考えるとき発生する「抜け」をまた記憶で補う
こうして作られた現実感は、それこそ人それぞれなんだと。
 最近読み終わったと書いた「人はなぜ宇宙人に誘拐されるのか?」は、脳機能や脳の活動を割と読みやすく(・・・それでも私はむつかしかったけど)、事例も織り込んで書いてあったので面白く読めました。
そして、ここまで読んでわかったことは、
  1. 記憶は物語である(私は「記憶という名の物語」という感じがします。)
  2. 記憶は映画のように格納されていない
  3. 記憶は思い出すときに再構成される
  4. 人は自分の世界観と違う認知にはアレルギーの様な反応をする
  5. 人の記憶は都合がよい
・・・ほかにもあった気がしましたが、忘れました。
 人の記憶って、時系列でフィルムのように出来事が記憶されているわけではない、というのは、こうした本を読むと、こうした研究をしている人の中では当然の話で、さらに3番に挙げた記憶は思い出すときに再構成されるという事から、所謂、スピリチュアル系のカウンセラーが行う「退行催眠」については、非常に懐疑的であり、記憶の正確性(そもそも、正確性の議論ができるプロセスを脳はもっていないようですが・・・)を脅かす行為であるというのも、ある程度共通見解です。催眠自体は、その記憶の揺れや何をどうやって認知しているのかという実験で使われることはあるにしても、今でも医療行為としは認められていないそうです。

その人が生きやすくなるのなら、それでよい

 にわか知識で色々と記憶の本を読んで、自分でもまとまっていないのですが、私の持病である「鬱病」から見た時にちょっとしたショックというか、脱力したのは「子どもの頃の記憶は本当か」という本にあった以下の文章です。
セラピーでは、事実だと証明できるかは重要ではないのです。セラピーの目的は患者の抱える問題を改善することにあります。患者が真実を語っているのであれば、私にはそれとわかります。真実かどうかすぐに区別がつきます。経験的にわかる、とでも言えばよいでしょうか。患者が真実を話しているのだと証明することは、たいていの場合できないのですが。 
(クライエントが真実だと思っていることが)客観的な事実であるかどうかにかかわらず、私達はそれを受け入れなければなりません。その真実がクライエントの人生にどのように影響するのか、過去の内容だけではなく、過去の力動、これが重要です。もしあるクライエントが九か月の時にオーラル・セックスを強要され、性器に異物を挿入されたと考えていて、そのために嘔吐反射で吐き気を催してしまい固形物を食べることができなかったり、付き合っている男性との性的な関係を楽しめなかったりすると考えているのなら、その出来事を振り返って、クライエントの語る物語を受け入れ、掘り下げていき加害者について詳しくしらべるのが合理的なアプローチだと思います。
(「子どもの頃の思い出は本物か」カール・サバー著 312ページより引用)
 ここでは、セラピーとありますが、カウンセリングと同義です。これはあるセラピストにが語った話ですが、この人が言ってる事は「正しい」と思いましたが、要するに、私達には客観的な事実は極論すれば必要ないのだ、と。患者がどんな現実感の持ち主であっても、治療するという立場である限り、「クライエントの語る物語を受け入れ、掘り下げて行き加害者について詳しく調べる」のです。
 カウンセラーがこれを行うのは、クライエント(もしくは患者)が、誰かのせいで私はこうなったのだ、という事実を当人がもっていても、それが勘違いで、一生そうした物語に絡めとられていても、それが当人の幸せであれば、それでよいと。
 がっかりというか、世界の狭さ、浅はかさを助長することでしかない、そんな風に思いましたし、当人が生きるため、よく言う「生きづらさを感じたことはありませんか?」というやつですが、それが「生き易くなる」のであれば、理由は何でもいい、記憶が間違っていても何でもいい、ってことに聞こえました。

スピリチュアリズムで救われているのか

 私がなぜがっかりしたかというと、私はカウンセリングの時、ある程度、話をまとめたり、出来事の公平性を自分なりにですけどバランスをとって話しています。実際にはカウンセラーには「それは辞めてください、ここでの話はここだけの話、この場に置いて持ち帰らないようにすることが重要です」と言われますが、それができないので仕方ないのですが、そうしています。

ある知人の話

 ある知人は、スピリチュアルな話にはまっているのですが、話を聞いていると私と彼女が共通でもっていたはずの記憶、それが私たちの中での共通の記憶という名の物語であったとしても、その記憶がある人物の言葉で変わっていくのを感じたことがあり、最後はスピリチュアルな話、そしてその「宇宙人にさらわれた人が言っている事」を信じ始めます。脇で見ていて、まさかと思いました。そして、その話をよく聞くと、所々、映画の「インターステラー」のエピソードに似てるのです。
 そのことを聞こうとして「インターステラーって映画知ってる?」とLINEを送ったら、「今は少しあなたと話したくない、連絡は控えます」と言ったきり連絡が取れなくなりました。
 どんな形であれ、私は彼女の記憶という名の物語を壊そうとした、邪魔をしたのかもしれません。彼女はそれを信じて、肉親を含む多くの人間と連絡を絶っていますが、それで幸せならそれでよい・・・と、そう思った途端、所謂、個人主義的主張の悪い面が頭をもたげる感じです。共生の中で個人を尊重する個人主義ではなく、「あなたはあなたの勝手よね」という、排他的な世界観での個人主義を推し進めかねない。

 まだ記憶に関する本は読んでいこうと思います。非常に深いし、答えらしい答えはまだまだ先でしょうし、私が生きている間に完全に記憶や神経、脳の機能(脳に関する研究はおおむねまだブラックボックステストの域を出ていないようです。)の解明はできないかもしれませんが、世界は個人の脳みそがもっている認知とそれが作る現実と、現実だと思い込んでいる記憶でできている側面は大きい。
それを知ろうとするのは辞められそうにないのです。

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