平成から令和
特別、何がどうという事はないと思ったけれど、世の中で起こっている事と自分が無関係じゃないのだなぁ、と思った。
当時昭和64年の1月2日に祖父が亡くなって、その5日後に昭和天皇が亡くなり、翌日の1月8日に「平成」が始まった。私はその時、小学校6年生で12歳、春には中学生になる年だったなぁ・・・と、自分のライフイベントと重なっていた平成のスタートだった。そんなことを、絡めて思い出す事は、あまりなかったし感慨もなかったけれど、思い出すとそういう事だった。
今、30年経って確かに12歳+30年だから、42歳なわけで。で、今年の秋に43歳になる。
この30年、学生から社会人になって、結婚して既婚者となって、子供が生まれ、父親になって、家を買ってローンを抱えて、鬱病になって病人になって、離婚してバツイチになって、病気の再発で失業者になって。
その他、天安門事件が起こって、天安門広場で学生と戦車が対峙する映像を覚えてる。1990年に、家族で中国に旅行に行った。天安門広場にもいった。血の跡がまだ残っていたのを思い出す。まだ、中国は今の中国と全く違った。
その他にも、湾岸戦争があったり、ベルリンの壁が壊れたり。その次に思い出すのは、阪神大震災だった。1995年、平成7年だった。朝のラジオで、そのニュースを知って、その後はヘリコプターからの報道が続いた。高速道路を支える柱が折れていた画像がすごかった。
日本経済も紆余曲折だった。バブルのおかげで、父親の商売は上手くいった時期もあって、私達は中国など海外にも行けた。でも、その商売も行き詰った時期を迎えた。バブル崩壊を肌で感じたのは、私が大学に行くにあたっての学費の件がチラっと話で出た時だった。結局、浪人して大学に行くのだけれど、景気の悪さは肌で感じた。
その後も、サブプライム問題に端を発したリーマンショックがあり、強烈な不景気が世界中を覆って、営業職だった私達にも影響が出た。ソフトウエア業界は世界中と連携していたこともあって、それなりに煽りを食った。
その後、12年、既婚者として過ごし、離婚。35歳でうつ病を発症してから、人生がくるい始めた・・・というより、人生の本性を現したという感じだった。本当の人生が始まったのは、正直ここからだった気がする。病気のあと2度就職し、2度、再発をして今は障がい者となって、リハビリをしている。
平成の30年の中に、色々なことが起こったなぁ・・・。でも、これが昭和であっても、どんな元号であっても、きっと起こったのだろう。
平成が令和になっても、私は病気が治ったりするわけではないし、石油の価格がすごい下がったり、景気が良くなるわけではない。でも、こうした、ただの時代の呼び名の変化を自分の心の区切りとして利用するのが、きっといいのだろう。
結局はそういう事なんだな。意味をつけるのは、人間であって、無意味なものでも、意味のあるものに、心の中で変わっていく。
それはその人それぞれの考え方や、物事のとらえ方、自分と向き合う機会、そういう物に利用してゆく。「平成が令和になったからなんだよ」って思う反面、それでも自分の生活を変える理由付けとして、利用していくのもいいのだろう。
明日が「令和」初日である、というのは、兎も角、雨が嫌いなので、雨予報の方が気になる。そして、リハビリを淡々と行うのだろう。就労しなきゃ。
私の平成
今日で、「平成」が終わって、明日から「令和」となるわけだけど、だから、なんなの?と思いながら、それでも思い出がない訳じゃないんだなと思った。当時昭和64年の1月2日に祖父が亡くなって、その5日後に昭和天皇が亡くなり、翌日の1月8日に「平成」が始まった。私はその時、小学校6年生で12歳、春には中学生になる年だったなぁ・・・と、自分のライフイベントと重なっていた平成のスタートだった。そんなことを、絡めて思い出す事は、あまりなかったし感慨もなかったけれど、思い出すとそういう事だった。
今、30年経って確かに12歳+30年だから、42歳なわけで。で、今年の秋に43歳になる。
この30年、学生から社会人になって、結婚して既婚者となって、子供が生まれ、父親になって、家を買ってローンを抱えて、鬱病になって病人になって、離婚してバツイチになって、病気の再発で失業者になって。
世の中の「平成」
世の中では、サリン事件があった。その陰で確か犬のブリーダーが大量殺人をしてたニュースもあったりしたけど、サリン事件の衝撃は強かった。毎日、オウム真理教の話をテレビでやっていた。麻原彰晃という人もいた。その他、天安門事件が起こって、天安門広場で学生と戦車が対峙する映像を覚えてる。1990年に、家族で中国に旅行に行った。天安門広場にもいった。血の跡がまだ残っていたのを思い出す。まだ、中国は今の中国と全く違った。
その他にも、湾岸戦争があったり、ベルリンの壁が壊れたり。その次に思い出すのは、阪神大震災だった。1995年、平成7年だった。朝のラジオで、そのニュースを知って、その後はヘリコプターからの報道が続いた。高速道路を支える柱が折れていた画像がすごかった。
日本経済も紆余曲折だった。バブルのおかげで、父親の商売は上手くいった時期もあって、私達は中国など海外にも行けた。でも、その商売も行き詰った時期を迎えた。バブル崩壊を肌で感じたのは、私が大学に行くにあたっての学費の件がチラっと話で出た時だった。結局、浪人して大学に行くのだけれど、景気の悪さは肌で感じた。
社会と自分
大学に入って、元妻と出会った。1998年だった。その後、2000年に社会人となった。西暦では、丁度、千年紀の区切りだったりもして、ノストラダムスの話とかも出てきた。その後、2001年に世界同時多発テロがあった。その時、私は元妻と一緒にラスベガスにいて、アメリカ国内で、その混乱を感じた。今から、18年まえ。2001年の暮れに、私は既婚者となる。若かった。その後も、サブプライム問題に端を発したリーマンショックがあり、強烈な不景気が世界中を覆って、営業職だった私達にも影響が出た。ソフトウエア業界は世界中と連携していたこともあって、それなりに煽りを食った。
その後、12年、既婚者として過ごし、離婚。35歳でうつ病を発症してから、人生がくるい始めた・・・というより、人生の本性を現したという感じだった。本当の人生が始まったのは、正直ここからだった気がする。病気のあと2度就職し、2度、再発をして今は障がい者となって、リハビリをしている。
平成の30年の中に、色々なことが起こったなぁ・・・。でも、これが昭和であっても、どんな元号であっても、きっと起こったのだろう。
平成だから、令和だから・・・
人間ってのは、こうした、ただ二文字の時代を表す言葉に自分の物語を重ねて、それを過去として認識したり、未来として期待したり、その前後をもって自分の中で物語を作っていくものなのだろうなと思う。平成が令和になっても、私は病気が治ったりするわけではないし、石油の価格がすごい下がったり、景気が良くなるわけではない。でも、こうした、ただの時代の呼び名の変化を自分の心の区切りとして利用するのが、きっといいのだろう。
結局はそういう事なんだな。意味をつけるのは、人間であって、無意味なものでも、意味のあるものに、心の中で変わっていく。
それはその人それぞれの考え方や、物事のとらえ方、自分と向き合う機会、そういう物に利用してゆく。「平成が令和になったからなんだよ」って思う反面、それでも自分の生活を変える理由付けとして、利用していくのもいいのだろう。
元号そのものには意味はない
文字には意味なんてない。それを見た時に何を感じて、どう動くかはその人それぞれ。令和の時代が始まっても、変わることがあるとすれば、それは「令和」に意味があるのではなく、その変化が人の心にもたらす影響、人の心の中で作られる物語、がモチベーションとなって、人が変えていくのだと。明日が「令和」初日である、というのは、兎も角、雨が嫌いなので、雨予報の方が気になる。そして、リハビリを淡々と行うのだろう。就労しなきゃ。
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