2008年8月22日

投資先について

ウォーレン・バフェット氏を中心とした、バリュー投資に関する観点では、極論するとIT関連ビジネスへの投資には肯定的ではない。彼らの話のなかでは、消費者独占で、顧客に対してインフレ分を負担することができ、資産効率がよく、遍く人の生活に密着したビジネスがまず選定のテーブルにあがる。それから過去のEPSや、そのほか諸々の検討が行われるというのが、流れ・・・かな。
メアリー・バフェット女史の出版披露会の動画を見る機会があったのだけれど、そこでも冒頭にチューインガム(リグリー?)の話とドット・コムバブルの件など出てくるので、何となく反応。




将来にわたって、IT産業が追加投資をしなくても利益を生み続けられるか・・という話があったとすると、それは確かに難しい。IT業界、ネット業界は、ニューエコノミーとまで行ってしまって良いのかは別だが、確かに既存のビジネスと一線を画す。それは皆が言っていること。情報格差は思いっきりビジネスチャンスだったわけだけど、ITはその垣根をなくしている。それと複製のコストについても、ほぼゼロに近い。単細胞動物のように、分離してドンドン、複製を作っていける。
今まで、情報に載せていた価値は、時間と場所と量などの制約があったんだけど、ITは確かにそれを限りなくゼロにしている。この辺は、ウェブ進化論がしっかりと話をしているので、それを見るのが良いのだろう。

そういう観点で考えると、確かに長期投資という点では、非常に難しい分野なのかもしれない。バフェット氏は「人の営みは継続する」という観点において予想してるんだよね。ガムをかんで、新聞を読む・・・。この行為がITが出て全てなくなってしまうか、と言うとそう言うわけじゃない。クレジットカードだってそうだ。「人はそれを辞めないだろう」というビジネスへの投資が好き。
そう考えると、「常識」にそっているかってのも、考える。あまりに非常識だったり、先進的なものは判断材料が乏しい。常識っていうのは、やっぱり過去なんだよね。ベストプラクティスを大多数の人間が判例として持っていて、それを元に日常の生活を判断している。その常識がどんなものか、と、その範囲を知ることは非常に重要。
単純に言えば、サラリーマンがやることは、可処分所得を持つ大多数の人間がやるだろう、という予想に基づいて良いわけだ。

そう考えると、ITはどうか?たとえば、パソコン。そんなにガンガン買い換えない。だから、日常的にストックビジネスにはならない。インターネットに載る情報だって、すごいスピードで変わっている。放置できない状況で、更新するコストと新しいニーズを探るコストを考えると、ストックにはならない。投資が必ず必要になる。
結局、みんな仕事を通じて何かしたいんだよね。でも、投資先としてそれが常に良いわけじゃない。「ビジョナリー・カンパニー」にもあったけど、彼らが考える継続性が良い会社と、働きやすく、労働者から見てよい会社ってのは、違うって言う話しに似ている。
こうして、一つ一つ考えを巡らせていると、やはりなんとなく、バフェット氏の行っていることは、突飛ではなく、人間の営みのなかにある、当然の事柄を拾って、その価値の上下を見ているのかなぁ・・・って気がする。実は山っ気がないってのが一番大切なのかもしれない。

2008年8月18日

欲の管理

投資の目的は、欲望と強く関係が有るのが普通。昨日も強欲さ具合と投資について触れたけど、今日、ストックナビ通信を読んで、こんな記述があったので、引用。
欲には限りがないのが普通の投資家だ。
おそらくは世界の王になりたいというところまでいってしまうだろう。その考えが良くないから、神は投資の失敗という試練を与える。
強欲は強すぎる欲望なんだろうね。投資をやっていると思うことに「負け方」という考え方がある気がする。次につながる負け方というか。

というと、勝った時には自動的に次につながる気がするけど、実は勝ちも負けもその時だけの結果であって、次どうするかというのは、その結果が全て決めるのではない。強欲はその結果の見方にも影響する気がする。
やっぱり、シッダールタの、「考えることが出来ます、待つことが出来ます、断食することが出来ます」って言葉を思い出す。

2008年8月17日

これからどうやって投資を続ければいいのだろう

この2008年1月は強烈な下げ相場だった。サブプライムが無視できない、ってことを世界の皆が思い知ることになった。実際は、この時期にわかったのでは、まるっきり遅くて、2006年から兆しはあったし2007年のパリバの件で気がつくべきだった。いやいや、考えてみれば、サブプライム問題というより、CDOのあり方とか、その前にマネー経済がアメリカの仕組みに頼り切っていたこと自体がどうだったのか・・・。 言い出したらキリが無い。後悔ってのはそういうものです。「あのときああしてれば・・・」「こうだったら・・・」。要するに「たら・れば」の世界だね。
そんなことを考えていると、自分の目的や視点をまったく失ってしまう。失っていることに気がつく。この1月からは、その連続だったような気がする。

視点

まず、相場を見て良いのか、企業を見て良いのか迷う。そのうち、過去を見たら良いのか、予測できない未来を見て良いのか迷う。もう疲れた・・・なんて思っていると、次はうわさを頼ろうとする・・・。2008年はかなり右往左往している。視点が定まらないのだ。

2004年にバリュー投資に出会って、少しづつだけど勉強をしていた。2003年くらいはまだバリュー投資をするための余地があった。相場に放置されている銘柄もあったし、そもそも、相場が安かった。「ランダム・ウォーク」とか、「効率的市場仮説」とか、よく考えてみれば、そんなもの知らなくても儲かる相場がたくさんあった。相場のトレンドが上がり調子だったのだ。そのとき、気がついている人もいれば、気がついていないで買っている僕のような人間もいた。それでも相場は上がるのだ。

これから

この数ヶ月は、トレンドラインだとか、ゴールデンクロスだとか、窓空けだとか・・・テクニカルだって立派な指標だ!なんて思って2銘柄くらい、チョコチョコとトレンドで売り買いしてみた。結果はトントン。じゃあ、バリュー株を見つけられたか・・・と言えば、実は見つけようとしても怖くて買えない。

強欲さ、そういうものを感じた。いつまでにいくらほしい。そういう感覚が出てくると、人間の欲は野放しになる。欲が人間の生活を支配するようになってくる。じゃあ、私たちが投資をしている株式ってのは、欲望と無関係か?まったく関係している。欲望はコントロールされなければいけない・・・というが、欲望とはそもそもなんだろうか。 きっとこれからも迷うだろう。でも投資をするんだろう・・・。

ある、テクニカルの本を読んだとき、不思議なことが書いてあった。投資とは、資本を経営者に渡して、その上がりを期待することだ、と。自分ではなく、その経営者に託すこと。そして投機とは、自己責任で売り買いを決定して儲けることだ、と。だから、投機は自己責任の度合いが高いのだ、と。投資も同じだと思っていた私は、なんだか不思議な話を聞いた感じがした。投機も投資も、相場か会社か、ってだけ。結局は自己責任。

シッダールタ、という本があったけど、その言葉を思い出す。 「私は、考えることができます、待つことができます、断食することができます」