2007年11月16日

裏切り続ける心理

人を裏切るという心理。人間は、自分の思いを人に伝えて、その伝えた思いを汲んでもらうことを望む。信頼関係というのは、その思いを汲む人達の間で培われる関係だ。裏切るというのは、その信頼関係を逆のことであり、思いを受け止めておきながら、その意を汲まず、まるで反対の行動をする。思いを伝えた人は、思いを受け止めてくれたと思っていたのに、行動がそれに伴わない・・・。それが「裏切り」のひとつの解釈ではないだろうか。

裏切りとは、そういう意味では「うそ」ともつながる。思いを汲んで、信頼関係があると「見せ掛け」て、相手の思いだけを受け取り続ける。要するに、思いと行動の貸し借りが信頼関係ならば、「借りっぱなし」ということになる。借金のようなものだ。そういう人生を歩み続けると、一体どんな終末が待っているのだろうか。裏切りを続ける人というのは、なぜ裏切り続けるのだろうか。人に恩を仇で返してしまうということを、病的なまでに繰り返してしまう人がいる。
そういう人は、人の思いが肯定的であればあるほど、また善性であればあるほどに仇にしてしまうように感じる。正義、誠実、善、肯定・・・こうした「まっすぐな期待」を感じたとたんに、その「まっすぐさ」を否定するがごとくに、裏切る。仇で返してしまうのだ。

人の思いを受け止め、人の思いを汲み、行動に反映するという信頼関係とは、お互いの思いや時間を共有するということにも通じる。そういう点でいえば、共有すらも拒否しているとうことになる。思いを共有することを拒否しているのだから、孤独なのだ。そして、好んで孤独になっているということもある。裏切りとは、もしかすると、孤独な人間の自己防衛の結果なのかもしれない。そして、「思いを共有すること」を拒否し、「孤独でいつづける」ということは何を意味するか・・・というと、自分の世界観の欠如、もしくは世界観の認識不足に他ならないのかもしれない。
自分の世界を共有したくないというのは、どういうことか。それは、成長を拒絶しているという側面もある。今ある状態を保つことを最優先とし、それをシェルターとする。このシェルターは、ヘッセ著「シッダールタ」でシッダールタと遊女の会話で出てくる逃げ場のことを言ってるのかもしれない。この二人は、最後まで二人の世界観を共有することはなかった。「シッダールタ」は成長したのではなく、捜し求めた。そういう人生だったのだ。自分の世界観と、他人の世界観をすり合わせて、そこを居場所にできることができる人は、人との信頼関係を築き、裏切るということをしないのかもしれない。

裏切り続ける心理、それは、孤独な個人が、他人と世界観を共有しないようにしている抵抗なのかもしれない。

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